月別アーカイブ: 2015年5月

モダニズム・ノート(5)

歴史的に考えるならば、「機能」という言葉には、1930年頃までは少なくても五つの異なる用法を特定することができる。

3.「有機的な」形態理論における生物学的隠喩として

ドイツ・ロマン派が発展させた形態についての有機的な考え方から引き出されたもの。

人間の要求を満たすという意味での「機能」ではなかった。

「形態は機能に従う」というアフォリズムで有名なルイス・サリバンにおける「機能」は、いかなる点でも有用性や使用者の必要性と無関係である。

代わりにそれは、有機的な本質の表現という形而上学をすべての基盤にしている。

 

貴志 雅樹

※「モダニズム・ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものを再構成したものです。

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モダニズム・ノート(4)

歴史的に考えるならば、「機能」という言葉には、1930年頃までは少なくても五つの異なる用法を特定することができる。

2.生物学的隠喩―構造の各部分が有する相互および全体に関わる目的を記述するもの。

18世紀末に発展した生物学という新たな科学においいぇは、各器官は有機体全体の中でそれが果たす機能や他の期間との階層秩序的な関係によって分析された。

十九世紀半ば以降の英語圏において「機能」という言葉が理解されたのは、主に、構造の中の各部分が果たす役割という意味においてである。

 

貴志 雅樹

※「モダニズム・ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものを再構成したものです。

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お知らせ

本日5月29日(金)は遠方へ出張のため、臨時休業とさせていただきます。

お急ぎの御用のある方は事務所へお電話をいただけましたら貴志泰正の携帯電話へ転送されますので、お話しいただけます。

勝手なことでご迷惑をおかけしますが、何卒宜しくお願いいたします。

 

株式会社貴志環境企画室

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モダニズム・ノート(3)

歴史的に考えるならば、「機能」という言葉には、1930年頃までは少なくても五つの異なる用法を特定することができる。

 1.数学的隠喩としてー古典的な装飾体系への批判

機能とは、建築のどの構成要素においても力学的な力と素材を結合させることであった。(1740年代ヴェネチアの托鉢僧カルロ・ロドゥーリは古典的な装飾体系を攻撃する中で、初めて建築に対して「機能」という言葉を用いた。)

 

貴志 雅樹

※「モダニズム・ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものを再構成したものです。

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モダニズ・ノート(2)

「機能」「機能的」「機能主義」

機能についての「理論」とされているのはいずれも最近になって作られたものであって、近代建築が「機能主義」に支配されていたとなっている時期のものではない。

-1960年頃以降の建築におけるモダニズムの批評家によるー

・ビル・ヒアリー「二十世紀における建築のマニュフェストを総覧してみても、機能から空間的形態を決定するという論を表明したものを見つけることはできない。」

 

貴志 雅樹

※「モダニズム・ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものを再構成したものです。

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モダニズム・ノート(1)

モダニズム建築を生み出した、イデオロギー的バックボーンは、何であったのか。

あるいは、モダニズム建築と呼ばれら建築の特性とは何であるか。

これらを、再検証するために、このノートを記す。建築にかかわるものにとって、良きにつけ悪しきにつけ影響を与え、教条的に呪縛を与え続けているモダニズム建築について問直す機会となれば幸いである。

このことを思い立ったのは、田中純氏による「残像のなかの建築 モダニズムの<終わり>に」に依るところが大きい。

-栄光と誹謗に包まれ、さまざま物語の主題をなしたモダニズム建築が実在したことはなかった。-

モダンアートの諸運動と比較して、純粋芸術ではない建築において、明確な定義づけが困難かもしれないが、ある見解を示したい。

 

貴志 雅樹

※「モダニズム・ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものを再構成したものです。

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ささやかな楽しみの喪失

貴志です。

やや大げさなタイトルで、すみません。

建築を計画する初期の段階で、まず役所で計画地にかかる規制等について調査します。

計画地によって当然訪れる役所も異なるわけで、各地の「役所食堂めぐり」をささやかな楽しみにしていたのですが…。

つい先日訪れた際に、我らが地元、大阪市役所の食堂がチェーン店に変身していました。

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向かい側にもうひとつ食堂が残ってはいるのですが、少し寂しく感じてしまいます。

決してこのチェーン店が嫌だというわけではありません。

ただここでしか行けない食堂に愛着があったという意味ですので、誤解されませんよう…。

役所という「地域の顔」には、地域性が感じられる存在であってほしいものです。

 

貴志 泰正

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形式論ノート(16)

N・シュルツの「実存・空間・建築」のなかで以下のように定義している。

・実存的空間とは比較的安定したシェマの体系、つまり環境の「イメージ」であり、たくさんの現象の類似性から抽象されて取り出された一つの一般化であって「対象としての性質」を有するものである。

・建築的空間とは実存的空間の「具体化」である。

 

形式論的にいうと、実存的空間とは建築の形式であり、具体的に出来上がった空間が建築であると言い換えられる。

しかし、実存的空間を具体化することが建築とはいいがたい。

建築の多様性を封じ込めるおそれがあるし、実存空間の存在を認めると、価値観を固定化する恐れがある。

本質的で固有なものの存在を追及するより関係性の中から空間を生み出さなければならない。

 

貴志 雅樹

(完)

 

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。

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形式論ノート(15)

日本の構成法として、「切れの構成」をを例にとると、長谷川櫂は和の思想の中で芭蕉の有名な俳句である

古池や蛙飛びこむ水の音

この句がどうして切れているかというと、芭蕉は蛙が飛び込むところを見ていない。

音をきいているだけである。

実際に古池に飛び込む蛙を見ていたら単なる写実である。

音を聞いて心の中にある古池をイメージしたという句で、現実社会と心の中の次元の異なる世界が同居していることになる。

「切れの構成」とは異次元のものを等価に扱う構成法である。

また、長谷川によると「和」とは異質なものを共存させる精神であり、それを可能にするのが「間」であり、「間」を創りだす方法が「切れる」ということであると述べている。

 

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。

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形式論ノート(14)

桜の季節だが、西洋では日本人ほど桜を愛でることがなかった。

花瓶に活けられた一輪のバラの方が好まれたようだ。

これはあくまでも主体がいて対象を見るという関係である。

それに対して、日本人は桜という対象に対して自己を投企する。

対象と主体が一体となる。

桜の中に包まれるという感覚が日本人の感性である。(「日本的感性」―触覚とずらしの構造―佐々木健一著、中公新書)

この視点に対する相違はパースと逆遠近法という西洋と日本の空間構成の違いかもしれない。

近代の視覚重視の空間構成に対して、嗅覚、触覚的な日本の空間構成について考察する必要がある。

 

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。

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