月別アーカイブ: 2015年4月

形式論ノート(5)

建築の構成と建築の形式との関係だが、建築の構成法の定型化したものが、形式である。構成法とは建築の形態や空間を関係づけてゆく文法(Syntax)であって、形態や空間の意味(Semantics)を関係づけて建築を創出する。建築における構成法はいくつも存在するが、人間にとって有効に作用したもの(有効に作用しているもの)が形式として継承される。「構成的な建築」というのは、Syntaxレベルを際立たせ、形態や空間のSemanticsレベルに重点を置かない建築のことで、P・アイゼンマンの建築を例として挙げる事が出来る。アイゼンマンのグリッドで構成される建築には形態言語より、統辞してゆくグリッドに重点を置き創られている。アートで例えると、ロシア構成主義の抽象的な形態(脱色された形態の意味)をコンポッジトしたような作品である。

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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ひとりじゃ“ヤタイ”お披露目会@川上村

「屋台骨」が自身の材料「吉野杉」が生まれ育った川上村へ里帰りします。

ゴールデンウィーク期間中に奈良県吉野郡川上村にある 匠の聚(たくみのむら)において開催されるアートフェスティバルにおいて、5/4(月)のみ、吉野杉で制作された屋台「愛でつながるナガスギ」と「屋台骨」が登場します!!

この機会に、ひとりじゃ“ヤタイ”たちを囲んで、吉野の風を感じてみてください。
当日は、木工家 賀來 寿史さんの「つくれる屋台」も登場します。

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日時:2015年5月4日(月)10:00~15:00

場所:川上村 匠の聚(たくみのむら)

〒639-3541 奈良県吉野郡川上村東川(うのがわ)135

施設内で開催中のアートフェスティバルのフライヤー

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貴志雅樹を偲ぶ会

トップページでもお伝えさせていただいておりますが、弊社の創設者貴志雅樹を「偲ぶ会」を3月の富山に引き続き5月に大阪でも開催していただくこととなりました。

発起人の皆様、参加の御連絡をいただいている皆様にこの場をお借りして御礼を申し上げます。

有難うございます。

詳細は下記の通りです。

 

日時   201559日(土)午後530分~午後730(受付 午後430分から)

会場   綿業会館 新館7階大会場 大阪市中央区備後町2-5-8 TEL 06-6231-4881

※会費1万円(立食形式) 御香典・御供花等は御辞退申し上げます。

貴志雅樹さんを偲ぶ会 発起人
池上俊郎 北村陸夫 木原千利 小島孜 竹原義二 吉羽逸郎 吉村篤一 若林広幸

 

会場には余裕がございますので、御多用中のことと存じますが、お越しいただけましたら幸いです。

ご興味のある方はお気軽にお問い合わせくださいませ。

お問い合わせはこちらから

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1985

貴志です。

大阪生まれ大阪育ちの私は阪神タイガースファンなのですが、1985年といえば唯一タイガースが日本一に輝いた年です。

私は当時4歳でしたが、タイガースが強かった記憶はありまして、主要な選手の名前も認識していたように思います。(タイガースのパジャマを着て応援している写真も残っています。)

先日4月17日は伝説のバックスクリーン3連発の日でしたが、ランディ・バースが来日してイベントが企画されるなど、いまだにファンの脳裏に鮮やかな印象を残しているようです。

今年は2015年。

もう30年も経過しているのかと思うと、とても遠い出来事のように思います。

 

さて、最近車で移動するときにTHE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)のCDをよく聴いています。

彼らがバンドを結成したのが1985年だそうで、30周年記念のCDを先日購入しました。

その1曲目に「1985」という曲が収録されているのですが、この曲の歌詞に

「僕達がまだ生まれてなかった40年前戦争に負けた」

というフレーズがあります。

そうか、1985年は戦後40年の年だったのかと、その一節が妙に心に残りました。

計算すれば当たり前のことなのですが、それから30年経過した今年2015年は戦後70年にあたる年です。

40年と70年…。

ブルーハーツが1985年当時に1945年をどれくらいの距離感で眺めていたのかはわかりませんが、人間の寿命を考えますと40年前と70年前では大きな違いがあるように感じてしまいます。

戦後生まれの父は今年65歳で亡くなりましたし、終戦時に20歳だった祖父(義母の父)もつい先日90歳で亡くなりました。

明治生まれの方はすでに100歳を超えています。

戦争を経験した方とお話しすることは年々難しくなっていくでしょう。

軽い話から書き始めてしまいましたが、2015年から1985年を眺めることで、より1945年というものを遠く感じたというのが今日書きたかった内容です。

私たちはすでに戦争というものにリアリティーを感じられないのかもしれませんが、そうであるからこそ想像力を働かせなければならないと思います。

 

貴志 泰正

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形式論ノート(4)

形式についての一つの視点として、横山天心先生との討論の一部を紹介しよう。

K:君たちはよく曖昧というけど、それは曖昧っていう誤魔化し方じゃなくて、形式と言いながらそれがフィットしないと言いたいのでしょう?曖昧を包含するっていうのは、ある形式を求めているけれど建築を創った時に、それが全部フィットするって事ではないのが形式だと言いたいのかな?

T:まぁそれはそうですね。形式っていうのは不自由なものなのですよ。その不自由がもたらす、うーん、自由があって、そこを僕は考えたい。

K:不自由だから自由があって、だから形式を追い求めたいというのはすごく分かる。ただ、曖昧のまま何かを受け入れるとか、なにかのためにとか、どうして形式がいるのか?

T:形式はアクティビティの拠り所ですよ、僕はそういう風に信じている。

 

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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木ぃホルダー

貴志です。

事務所から歩いてすぐの北田辺駅前に、木の雑貨を製作・販売されている木工房cobaさんがあります。

昨年夏ごろにオープンされたのですが、フラッと立ち寄って気に入って(木に入って?)購入したのが、このキーホルダー。

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その名も木ぃホルダー

キーケースにつけて愛用しています。

黄色い色は天然の色でして、ウルシの木ヴァージョンです。

しっかり乾燥しているからか、かぶれることもなく手になじんでくれます。

 

家族にも好評でしたので、母・妻・弟夫婦の分も購入しました。

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誰がどの木を選ぶのか、気になります(木になります?)。

 

貴志 泰正

 

木工房cobaさんのブログ

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形式論ノート(3)

引き続き形式についての言説を紹介しよう。

 

<エイドリアン・フォーティー>

英語には「形」(フォルム)のただ一語しかないが、ドイツ語には「形態」(ゲシュタルト)と「形式」(フォルム)の二語があるからだ。形態は一般には感覚で受け取られたものとしての対象を言うが、形式はふつう具体的な個物からある程度抽象化することを含意している。

「言葉と建築」より

 

<磯崎 新>

≪建築≫は結論的にいえば、表題どおりに形式なのである。だから「≪建築」という形式」とは、同義反復しているにすぎない。≪建築≫その概念が発生することによって、ひとつのジャンルを構成した。ジャンルは自らの掟、すなわち広義の制度をかかえこんでいる。-中略―すなわち、形式を≪建築≫と等置することによって、建築の生成する機制でありかつ方式でもある、伝統的にポエティックスと呼ばれる部分にそれを接続したいと考えている。「建築という形式Ⅰ」

 

<坂本 一成>

硬直化し、凝り固まった私たちの身体が、ただ自由で気ままな姿勢をとるのでなく、気功や太極拳、またさまざまな体操の形式化された型に沿うことで、柔軟さを快復し、自由を獲得するように、構成されたある種の空間や場に関わることで快適な自由を獲得する、そんな構成の形式によって私たちに関わる建物を<構成の形式としての建築>と位置づけることができそうだ。「建築に内在する言葉」

 

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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形式論ノート(2)

具体的に形式というものを挙げる。

<平面形式> ①ワンルーム形式 ②リニア形式 ③分棟形式 ④コートハウス形式 ⑤入れ子形式 <断面形式> ①スキップフロア形式 ②螺旋形式 ③浮遊形式 等がある。

平面形式が建築の枠組みを決定するものなら、断面形式は空間の関係性を創出する。

形式の種類はこれ以上考えられるし、一つの建築の中に形式が混在し、変形して存在する場合もある。

 

建築の形式(Architectural Form)について理解を深めるために以下の文章を引用する。Form(形)について書かれた部分である。

―建築は「形」の問題について自らの特権を主張している。それは建築というものがわれわれのまわりの物理的な対象と空間とを物理的に形作ることにあったからである。-

この主張によってわれわれは、西洋思想における建築の意義全体の土台となる「形」の核心へと直行できる。

「形」には両義性が内在する。一方では「形状」を意味し、他方で「考え」や「本質」を意味しているという両義性である。-

「言葉と建築」 エイドリアン・フォーティー著

 

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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形式論ノート(1)

建築における形式とは、建築を構成する基本形のようなものかもしれない。

形式とは、建築が成立している時代の歴史・文化・風土・技術をベースに生みだされてきたもので、人の生活を受け入れ、人と人、人と社会、人と自然等の関係性を構築してゆく型のようなものかもしれない。

型(Type)が建築の核心の観念で建築の本質に迫るものであり、様式(Style)が建築の美を担保するものであるなら、形式は建築の関係性を担保するものであるかもしれない。

ただ、形式には、建築の関係性を固定化するという矛盾も孕んでいる。そこで我々は、新たな形式を模索し続けるか、従来の形式をズラス事など試みながら、絶えず建築の関係性を新たに更新してゆく必要に迫られている。

 

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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OB・OG集合

貴志です。

5月9日(土)に「貴志雅樹を偲ぶ会」が大阪でも行われることになり、その準備のために多くの事務所OB・OGに御協力いただいています。

下の写真はOB・OGさんの到着を待つ事務所の風景です。

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椅子の数はギリギリ足りそうです。

狭いところですが、宜しくお願いいたします。

 

貴志 泰正

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