「見立てる」という言葉があります。
辞書(デジタル大辞泉)によりますと、いくつか意味があリまして、
1 見て選び定める。選定する。「着物の柄を―・てる」
2 病気を診断する。また、鑑定する。「医者が―・てたところでは軽傷らしい」「絵を―・てる」
3 別のものになぞらえる。仮にそのものと見なす。「市街の中央を流れる川を京都の鴨川に―・てる」
4 見送る。
5 世話をする。後見する。
6 軽く扱う。見くびる。
と書かれています。
4、5、6の意味では、私は使ったことはありませんでした。
さて、今回話題にしたいのは、3の「別のものになぞらえる」、「仮にそのものとみなす」という用法です。
ふと思いついたのは、各地にある「富士」という言葉がついた山の名前です。
近江富士、讃岐富士、などなど、全国にかなりの数があるようです。
前置きが長くなりました。
この話を書こうと思ったきっかけは、息子が義父母から送ってもらった「かまぼこ板」で遊ぶ様子を見たことです。
「かまぼこ板」を道路や線路や駅、トンネルに「見立て」て、楽しそうに遊んでいました。
息子が遊ぶ様子を見ながら、なかなかこれは「いいおもちゃ」だなあと感じました。
いろんなものが手に入る時代ですが、このような想像力を働かせるようなおもちゃや遊び方って実はすごく大切なのかもしれないなという気がします。
話が飛躍しますが、「建築」の設計でも「見立てる」という行為が用いられる場合があるはずですが、そのためには元ネタとでも言うべき「見立てる」対象を設定する必要があります。
「歴史」を学ぶことの大切さはそういったところにあるのでしょうね。
息子の遊ぶ様子を見ながら、そんなことを考えさせられたのでした。
貴志 泰正