形式論ノート(11)

形式というと建築を規制するかたぐるしいもののように考えがちだが、建築がある自由を獲得するための指標である。過去から継承してきた形式を現代どのように変容させるか(複数の形式の重層・形式をずらす等)と考えると可能性が見えてくる。それでは形式とは建築を創出するための下敷きのようなものか、あるいは、形式がなぜ必要なのかという疑問がわくかもしれない。これはウィトゲンシュタインがー世界の実体が規定しうるのはただ形式のみであるーといったように、我々の思考そのものが言語により規定されている。つまり建築も形式により思考される。それでは形式によらない建築とは、あるいは、形式の見えない建築とは。前者は建築とは呼ばないし、後者は形式から始まり熟成した建築である。形式から思考するが、それを感じさせない空間を創りだす事が建築することである。

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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