形式論ノート(4)

形式についての一つの視点として、横山天心先生との討論の一部を紹介しよう。

K:君たちはよく曖昧というけど、それは曖昧っていう誤魔化し方じゃなくて、形式と言いながらそれがフィットしないと言いたいのでしょう?曖昧を包含するっていうのは、ある形式を求めているけれど建築を創った時に、それが全部フィットするって事ではないのが形式だと言いたいのかな?

T:まぁそれはそうですね。形式っていうのは不自由なものなのですよ。その不自由がもたらす、うーん、自由があって、そこを僕は考えたい。

K:不自由だから自由があって、だから形式を追い求めたいというのはすごく分かる。ただ、曖昧のまま何かを受け入れるとか、なにかのためにとか、どうして形式がいるのか?

T:形式はアクティビティの拠り所ですよ、僕はそういう風に信じている。

 

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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