ONE BOX 家 Ⅰ
ONE BOX HOUSE Ⅰ
1997

 
 
 
 
 
 
 

所在地 大阪府大東市
用途 専用住宅
構造 鉄筋コンクリート造+木造
規模 地下1階・地上2階
敷地面積 64.06㎡
建築面積 38.42㎡
延べ面積 119.20㎡


「ONEBOXCARのような家」


箱の中は暗く、防水塗料の甘い匂いがした。なぜか、ひどく懐かしい場所のような気がした。いまだに辿り着けそうで、手の届かない記憶。箱は僕にとって、やっと辿り着いた袋小路どころか、別世界への出口のような気さえする。何処へかは知らないが、とにかく何処か、別の世界への出ロ……。(安部公房『箱男』より)

最近、乗用車の売れゆきより、RVやONEBOXCARのほうが上回っているという。若者たちが、この車を乗り回しているのを見ると、この車がファミリーや大勢の人たちを乗せるためにつくられたというよりは、彼ら自身の部屋に車がついて動き回っているような気がする。あたかもヤドカリのように。
姉マルガレーテが弟のルートウィッヒ・ヴィトゲンシュタインを呼び寄せ、自分の家の設計を建築家・エンゲルマンと協同するように勧めたとき、彼は小学校の教師として挫折していた時期で、精神的に病んでいた。姉は家をつくる行為において、ルートウィッヒの精神的回復を目論むのだが、はたして彼は家を設計したのだろうか?
家の図面はエンゲルマンによって大部分でき上がっていたため、彼はひとつひとつの部屋を緻密につくり上げることに専念したのではないだろうか。部屋という箱を完壁につくり上げたいという部屋への執着。彼が扉のデザイン、制作に異常なまでの情熱を注ぐのは、その箱から、いずれは出ていきたいという願望の表れだったのかもしれない。

個室の延長としての住宅
今回の住宅を見た後、編集者に"ONEROOM"と"ONEBOX"の違いについて尋ねられた。簡潔にいえば"ONEROOM"は、家族の生活様式の中で間仕切りを極力少なくしていった結果でき上がる住居形式であるのに対して、"ONEBOX"は、あくまでも個人のシェルターであり、個人の部屋という領域を拡大していくことにより生まれた住宅というふうに考えている。
偶然、同時に設計に取りかかったふたつの住宅のクライアントは,共に28歳という若さであった。両者とも結婚はしていたが、住宅の打合せは個人と設計者というかたちで進められた。
Vol.Ⅰのクライアントは塾の経営者で1階に、塾のスペースを取り、居住部分を2階以上に確保してほしいという要望。ほかには、ファッションに対する興味、好きな照明器具や椅子について語ってくれた。
Vol.Ⅱのクライアントは学生で、大学院で医学を専攻している。ガチンとドアが閉まる感覚や、ドアノブ、水栓のカラン等、金具、金物に関して自分の嗜好はきっちり伝えてくれたが、互いに今後発展していく家族の像や住宅のイメーゾについては何も語らなかった。
家族の関係や住宅と社会の関係は、いつも設計に取りかかるとき頭を悩ませる問題なのだが、今回に限ってはともかく個人にとってかろうじてリアリティのもち得るもの、自分の身体感覚の延長としてとらえられる住宅をつくることが望まれた。つまり個室の延長で住宅をつくるということ。そして唯一、この部屋に入ることを許されている他者は今のところ配偶者であり、一緒に生活する限りその気配を互いに確認しあえる空間でなければならないと思った。

都市住宅
ふたつの住宅は昭和40年代につくられた建売住宅を取り壊した跡地に建つ。周辺には、いまだに当時の住宅が密集して建ち並んでいる。Vol.Ⅰの敷地は間口6.2m、奥行10.5mの19坪で、南側が4m道路に接する。用途地域は第1種低層住居専用地域で、階数、高さに制限が加えられている。狭小地のうえに、建築面積、階数を制限されると、空間のヴォリュームを確保することは難しい。
そこで、塾のスペースを半地下にして、居住部分は1階から屋根裏まで吹抜けにし、高さを確保した。その吹抜けに面して生活の場を配した。階数は4階だが、法的には地下1階地上2階建て(屋根裏部屋を含む)の住宅である。採光は両側、後方の隣地からは期待できないので南面をできる限り開放し、風は隙間風を有効に取り入れるために両隣地サイドにジャロジーを設けた。
Vol.Ⅱの敷地はVol.Ⅰよりもさらに小さく、間口4m、奥行13.2mの16坪であり、南側が道路に接する。ただ用途地域は第2種住居地域で間口はVol.Ⅰよりも狭いのだが、道路斜線以外に高さ制限がないというのが幸いだった。この住宅の構成は、1階の半分を道路に開放して駐車場とし、残りの半分を水回りとクローゼットにする。住居部分はVol.Ⅰと同じように2階から上で、内法2.97m、高さ8.5mというBOXの中に各生活に対応する場をつくり出した。光、風の取り入れ方はVol.Ⅰと同じである。
昭和40年代の建売住宅が新しく建て替わったのだが、当時1階は駐車場か店舗で、その上の住宅部分は一部屋は小さくてもできるだけ部屋数を確保するというものであった、今回のふたつの住宅も1階は都市との接点で、上部に居住部分という以前の構成は、結果的に踏襲することにした。しかし、居住部分の考え方が大きく変わってしまった。家族のための部屋を集めた住宅より、個人のための部屋を拡張した住宅というふうに、これらを都市住宅と呼ぶには、いささか特殊解すぎると思うが、現代社会が個人と社会をつなぐ有効なかたちを失い、個人と社会がダイレクトにつながるという状況を考えてみると、これらはひとつの都市住宅の姿かもしれないと思っている。