カテゴリー別アーカイブ: 形式論ノート

形式論ノート(6)

日本建築は構成的ではないと言われるが、日本の芸術に見られる和の構成法としていくつか挙げる。①切れの構成(俳句などにみられる)②曖昧にしながら統合する構成(洛中洛外図の雲)③過去の文脈を利用する構成(枕詞・序詞)④増殖してゆく構成(雁行、九の間論)⑤天地人の構成(活け花)⑥余白の構成(書道)⑦重層の構成(庭園における見え隠れ)⑧ミニマルな構成(枯山水)⑨布石による構成(回遊式庭園)各構成法について、具定例を示すと同時に、建築について用いられているかどうかも考察してゆきたい。

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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形式論ノート(5)

建築の構成と建築の形式との関係だが、建築の構成法の定型化したものが、形式である。構成法とは建築の形態や空間を関係づけてゆく文法(Syntax)であって、形態や空間の意味(Semantics)を関係づけて建築を創出する。建築における構成法はいくつも存在するが、人間にとって有効に作用したもの(有効に作用しているもの)が形式として継承される。「構成的な建築」というのは、Syntaxレベルを際立たせ、形態や空間のSemanticsレベルに重点を置かない建築のことで、P・アイゼンマンの建築を例として挙げる事が出来る。アイゼンマンのグリッドで構成される建築には形態言語より、統辞してゆくグリッドに重点を置き創られている。アートで例えると、ロシア構成主義の抽象的な形態(脱色された形態の意味)をコンポッジトしたような作品である。

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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形式論ノート(4)

形式についての一つの視点として、横山天心先生との討論の一部を紹介しよう。

K:君たちはよく曖昧というけど、それは曖昧っていう誤魔化し方じゃなくて、形式と言いながらそれがフィットしないと言いたいのでしょう?曖昧を包含するっていうのは、ある形式を求めているけれど建築を創った時に、それが全部フィットするって事ではないのが形式だと言いたいのかな?

T:まぁそれはそうですね。形式っていうのは不自由なものなのですよ。その不自由がもたらす、うーん、自由があって、そこを僕は考えたい。

K:不自由だから自由があって、だから形式を追い求めたいというのはすごく分かる。ただ、曖昧のまま何かを受け入れるとか、なにかのためにとか、どうして形式がいるのか?

T:形式はアクティビティの拠り所ですよ、僕はそういう風に信じている。

 

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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形式論ノート(3)

引き続き形式についての言説を紹介しよう。

 

<エイドリアン・フォーティー>

英語には「形」(フォルム)のただ一語しかないが、ドイツ語には「形態」(ゲシュタルト)と「形式」(フォルム)の二語があるからだ。形態は一般には感覚で受け取られたものとしての対象を言うが、形式はふつう具体的な個物からある程度抽象化することを含意している。

「言葉と建築」より

 

<磯崎 新>

≪建築≫は結論的にいえば、表題どおりに形式なのである。だから「≪建築」という形式」とは、同義反復しているにすぎない。≪建築≫その概念が発生することによって、ひとつのジャンルを構成した。ジャンルは自らの掟、すなわち広義の制度をかかえこんでいる。-中略―すなわち、形式を≪建築≫と等置することによって、建築の生成する機制でありかつ方式でもある、伝統的にポエティックスと呼ばれる部分にそれを接続したいと考えている。「建築という形式Ⅰ」

 

<坂本 一成>

硬直化し、凝り固まった私たちの身体が、ただ自由で気ままな姿勢をとるのでなく、気功や太極拳、またさまざまな体操の形式化された型に沿うことで、柔軟さを快復し、自由を獲得するように、構成されたある種の空間や場に関わることで快適な自由を獲得する、そんな構成の形式によって私たちに関わる建物を<構成の形式としての建築>と位置づけることができそうだ。「建築に内在する言葉」

 

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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形式論ノート(2)

具体的に形式というものを挙げる。

<平面形式> ①ワンルーム形式 ②リニア形式 ③分棟形式 ④コートハウス形式 ⑤入れ子形式 <断面形式> ①スキップフロア形式 ②螺旋形式 ③浮遊形式 等がある。

平面形式が建築の枠組みを決定するものなら、断面形式は空間の関係性を創出する。

形式の種類はこれ以上考えられるし、一つの建築の中に形式が混在し、変形して存在する場合もある。

 

建築の形式(Architectural Form)について理解を深めるために以下の文章を引用する。Form(形)について書かれた部分である。

―建築は「形」の問題について自らの特権を主張している。それは建築というものがわれわれのまわりの物理的な対象と空間とを物理的に形作ることにあったからである。-

この主張によってわれわれは、西洋思想における建築の意義全体の土台となる「形」の核心へと直行できる。

「形」には両義性が内在する。一方では「形状」を意味し、他方で「考え」や「本質」を意味しているという両義性である。-

「言葉と建築」 エイドリアン・フォーティー著

 

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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形式論ノート(1)

建築における形式とは、建築を構成する基本形のようなものかもしれない。

形式とは、建築が成立している時代の歴史・文化・風土・技術をベースに生みだされてきたもので、人の生活を受け入れ、人と人、人と社会、人と自然等の関係性を構築してゆく型のようなものかもしれない。

型(Type)が建築の核心の観念で建築の本質に迫るものであり、様式(Style)が建築の美を担保するものであるなら、形式は建築の関係性を担保するものであるかもしれない。

ただ、形式には、建築の関係性を固定化するという矛盾も孕んでいる。そこで我々は、新たな形式を模索し続けるか、従来の形式をズラス事など試みながら、絶えず建築の関係性を新たに更新してゆく必要に迫られている。

 

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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