形式論ノート(15)

日本の構成法として、「切れの構成」をを例にとると、長谷川櫂は和の思想の中で芭蕉の有名な俳句である

古池や蛙飛びこむ水の音

この句がどうして切れているかというと、芭蕉は蛙が飛び込むところを見ていない。

音をきいているだけである。

実際に古池に飛び込む蛙を見ていたら単なる写実である。

音を聞いて心の中にある古池をイメージしたという句で、現実社会と心の中の次元の異なる世界が同居していることになる。

「切れの構成」とは異次元のものを等価に扱う構成法である。

また、長谷川によると「和」とは異質なものを共存させる精神であり、それを可能にするのが「間」であり、「間」を創りだす方法が「切れる」ということであると述べている。

 

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。

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