形式論ノート(8)

大橋良介氏の切れの構造に関心を持ったのは次のような文章があったからだ。
 -「切れ」は日本のプレ・現代(モダン)の美的造形においてあらわれ、日本のモダニズムの中で、内なる異世界として作用していた。いま日本のモダニズムそれ自身の熟成の中で、「切れ」はポスト・モダニズムを成立させる鍵としてあらわれている。-
ーもしも「ポスト」・モダニズム建築というものがその名にふさわいい内容をもつとするなら、それの少なくとも一つの方向はこの「切れ字」もしくは切れを含んだ言語としての建築だということができる。なぜなら、切れとは、技術の粋を尽くして自然をある仕方で自覚的に切ることであった。自然はその切れをくぐって技術の中に、ある仕方で蘇った。-
建築を言語としてとらえる見かたは、C・ジェンクス「ポストモダニズムの建築言語」にみられるように、ポスとモダンの特徴のようだが、ヴァレリーもゲーテも言語として捉えていた。重要なのは言語のもっている構造主義的なパラダイムを逸脱することにある。建築におけるポスト・モダンはその部分を理解していなかった。

 

貴志 雅樹

※「形式論ノート」は貴志雅樹が生前自身のブログに綴ったものです。故人を偲ぶ会を前に事務所のブログへも掲載させていただきます。

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